本書は実際の足で観光することによって、自分が使える検索ワードを増やすという独特な哲学に焦点を当てている。今ではネットが発達し、ストリートビューや動画などもあるので自宅からでも世界全国の様子をある程度知ることができる。しかし、それでも自宅から見ている情報や映像はネットというフィルター越しにあるもので、当然だがそのフィルターにかからなかったものは無数にある。
ネットでいくら情報が公開されていても、それは特定の言葉で検索しなければ手に入らない。ケーララの情報に辿り着くためには、検索で「ケーララ」と入れなければいけない。それがネットの特性です。ではぼくはどうやって「ケーララ」に辿り着いたか。
それはインドに行ったからです。現実にインドに行かなければ、ケーララを検索する機会はなかったでしょう。生涯調べることがなかった言葉かもしれない。
ネットは、ここでどうしてもリアルを必要とします。
ケーララはインドの州のひとつ。私は本書を読むまでこのケーララについて全く知らなかった。ここでリアルを通じてケーララの存在を知ることができれば、ネットで検索することで更にケーララの情報を知れる権利を得る。東氏は自分が使える検索ワードを増やす為に、ほどよい距離感でものを知れる観光・旅を推奨している。ほどよい距離はつながりが強すぎることになりづらい。
ネットについて言及すると、本書の書き出しはインパクトが強い。
ネットは階級を固定する道具です。(……)ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。(……)
ネットを触っているかぎり、他者の規定した世界でしかものを考えられない。そういう世界になりつつあります。
きっと多くの人は、ネットの人間関係よりリアルの人間関係の方が強固であり、”強い”つながりだと考えるかと思われる。私もそう思う。結婚式で新郎新婦の出会いのきっかけがマッチングアプリなどのネット上のものであると紹介があると、それが受け入れられる場も含めて時代だなと感じる。これはネットの台頭もあるが、潜在的にリアルの方が強い絆を持っていると信じている部分もあると思う。
しかし、ネットで今交流がある人間関係・コミュニティは近い価値観や同じ趣味嗜好で繋がることが多いはずだ。裏を返せば相容れない価値観を持っている人は簡単に遠ざけたり自分の視界に入らないようにできる。Twitterならミュートやブロック機能があり、最近ではdiscordに実装された無視機能が話題になった。
東氏はリアルよりネットこそ強いつながりを作ると主張している。ネットであまりにも便利すぎる機能を使いこなせば、自分のユートピアを作るのは容易い。
ネットは強い絆をどんどん強くするメディアです。
ただ東氏は単純にリアル>ネットと推奨しているのではなく、人生において強い絆と弱い絆の両方を持つべきと主張する。ネットとリアルは互いに活かすことができる。観光の話でも、ネットは接続して検索できるようにすべきと書いている(ただしSNSなどの人間関係が発生するツールは、観光中において無視するともある)。
本書はリアルで偶然性を愛し、弱いつながりと共に生きる為の哲学書だ。哲学書と言っても難解な言葉は少なく180ページとさくっと読める。
